通奏低音

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2020-05-09 (Sat) 14:43

デトックス

僕の中で勝手にデトックスが始まってるようだ。



この数週間ずうっとお腹を下し体内の毒素が抜けるような感覚がある。


同時に心からは様々な感情がマグマのように噴き出す。


原因の分からない恐れや不安がブクブク吹き出したり、悲しさがこぼれたり、懐かしさ、愛おしさが訳もわからずこみ上げる。


それらから逃れたくて、ドラマや映画を観ようとするのだが、集中できない。

というより以前あれほど観たいと思っていた作品なのに興味が湧かなくなっていた。


興味や関心が以前とはまったく異なってしまった。


スパイアクション、フイルムノワール、純愛ドラマ、陰謀もの、SF、文芸作品、どれも食指が動かない。


何をしたいのかさっぱりわからない。




今は森の中を歩き、空を眺め、原っぱで寝転ぶのが最高に心地よい。


モーツァルトやシューマンの音楽や明るく爽やかなボサノバが心地よい。


以前好んだ暗く深刻な作品より、風のように軽やかで、海のように深みのある何かを求める。


穏やかな海辺、高原の草花、木々のそよぎ、水色の空と星々の輝きが恋しい。


それらを求め外を歩き回る。知らない坂道を登り、森に入り、草むらで空を見上げる。



僕はどうなってしまったんだろう?


昔の恋人たちの雰囲気や香りがふとした時に甦る。恋しさや懐かしさだけではなく、以前とは別の角度から見えてくる。


彼女たちは恋愛としてだけではなく、人間としてどれほど僕を育み、慰め、叱咤激励し、利己心を捨て尽くしてくれただろう。

僕が自立できるように、自信を持てるように、自暴自棄にならないように、傷が癒されるように。


心と言葉と態度と体を想いを込めてくださった。


それは彼女たちだけではない。


母も、姉も、父は父なりに、僕の弱さをどうにかして強めようと苦言や叱責、厳しい態度を与え続けてくれた。

そこにあったのは憎しみではなく、深い愛情なのだと、なぜ気づけなかったのだろう。

なぜ欠点ばかり見つけ、自分のプライドに固執し、傷ついた記憶ばかりを大事にしていたのだろう。


悲劇など、どこにもない。


人生の全てにおいて、あらゆる関わりの中に悲劇や被害はまったくない。

あるのは懸命に、不器用に、その人の中での精一杯の愛情の変わった現れだったのだ、と気づくのにどれほど遠回りしてきたことか。





人がなぜ生きるのかはそれぞれのテーマだ。決めるのは哲学者でも宗教家でも両親や指導者でもない。

僕の人生を決めるのは僕であり、人生のテーマも、その意味も、やり方も、考え方も、価値もぼくが決める。誰にもそれは引き渡せない大切なものだ。


何もせず生涯を過ごすのも悪くないし、失敗をしでかしそのまま辛いと感じながら生きることも間違いではない。


自分で想像し、考え、どの自分であるかを選択する。すべては自分の問題であり、だから自分を生きてると言える。





他人に任せ生きて何が楽しかろう。社会や家族のせいにしたり、それらの仕組みに乗っかり楽して生きることだけはごめんだ。

それは僕でなくても、誰でもいい訳だから。



もっともつまらないのが、教師や両親の言われるままに勉強し、教室内のムードに流され、競争に明け暮れ、世間が言うままに良い会社に入社し、上司の期待に応え、同期と出世競争に明け暮れ、勝ち組だの、負け組だのと一喜一憂する人生だ。


僕から見るとそれは死体にみえる。せっかくの個性を押し殺し、心を鎧で覆って、自分以外の社会が求めるロボットになろうと必死に努力してる。


オリの中で、囚人同士がわずかばかりの餌を求めて争ってるようだ。



彼らを卑下してる訳ではない。豊かなその個性や創造の力が制限され、あるいは支配者に利用されてる姿がもったいないのだ。

もちろん、それもひとつの生き方であり悪くはない。


大切な事はそうした他者のことではなく、自分自身はどうしたいか?だ。


そこに何を感じるか。だからどうしたいか。


反抗や反逆もひとつの生き方であり、あるいは支配される側から支配する側に登りつめようするのも、またひとつの在り方だ。

世を儚み山に篭り清貧に生きるもまたありだ。




僕はどう感じ、自分ならどうしたいだろう?

オリの中から抜け、アウトローとして生きたいのか。

ホームレスになる覚悟で、自分を貫くのか。


それとも社会変革を夢見て仲間を探し、活動をしたいのか?


それとも新しい価値観を生み、共感する人たちと共に新しい世界に生きるのか。


答えなどないし、正解も不正解もない。どれもその人の真実だ。たとえ犯罪者とし生きようと、または命を断ち切ろうと。






僕は僕になりたい。


その僕は僕の感性が、美しい、心地よい、と感じる生き方や在り方をする僕だ。


それは他の誰とも違う。世界にひとつの僕の個性だ。


それを求め、今は森を歩き、原っぱに寝転び、散策に暮れよう。


空を眺め、様々な感情を感じ切って、この時期を過ごそうと思う。


作為無く、結果も求めず、あるままに、在れ、と願いながら。









偶然見つけた散歩道






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最終更新日 : 2020-05-09

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